ぷりにっき

ほぼ日刊更新。日々のことをゆるゆる書いていく

凡人の羨望

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281記事目。

こんばんはぷりにーです。

今日は友人が泊まりに来るっぽいので早め更新。

 

「なんで俺は凡人なんだろう」

こういう悔しさが、良いものを見た時ほど押し寄せてきます。

「あくまで自分の中で上を見て比較してるからそうなのかも」と思い込んだり、「大丈夫、自分は方向性が違うだけでまだ変わっている方だ」と鼓舞したり、色んな方法で自分を励ますこともしばしば。

なんでこんな状態になってるかって言うと、まあ先日書いた舞台の感想からですね。

"良いものを良いと言いたい"という気持ちは大きくあるんですが、良い言い回しも上手い表現も、状況の説明もなんも出来てないんですよね。

それでも検索からここに辿り着いて、1秒でも俺の変な文章に目を通す人が何十人かいるんだなと思うと、少しうれしいなと思うこともあります。 本当にありがたいです。

そんなときに見たのは先日の舞台のとある感想。

自分が思っていることを、更にもう2層3層も深く彫り込んでいて、しかもそれをちゃんとテキストで表現できてる。

 

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アクタージュで「役の掘り下げと表現」の話が出てきたけど、別にこれ演じる以外のこともそうですよね。

で、凡人たる俺は右側の人でしかない。 それだけの話なんですが。

悔しいなあ。 なんで俺は右側なんだろうなあ。

こんなことをこの程度の内容でしか書けないのが既に浅さ、出てますね。

 

ああいうのって、才能以外だとどこから来るんでしょうね。

小学校の時読書感想文で名文を書いたとか、本をいっぱい読んでいっぱい書いてきたのか。

 

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ただ、いっぱい本を読んでもいっぱい作品に触れても、それはあくまで受け手側の話であって、やっぱ表現ってなると別の才能な気がします。

ていうかそもそも才能ってなんなんでしょうね。

世間では「努力も才能」とか、「才能じゃなくてただ楽しく続けられるかが大事」とか、色々言われてますが。

好きで続けても絶対に辿り着けない場所っていうのはあるわけだし、でもそれも言ってしまえば最大値が人によって違うだけって話でもあるし。 いやそれが才能なんじゃねって説もありますが。

 

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普通は普通なりに向き合ってやっていくしか無いんですよね。

自分も世界も極力肯定して生きていきたい。

とりあえず自分は、掘り下げられない代わりに横幅が広いっていうことをアイデンティティにしばらく耐えて生きていきます。

さーて、スト5でもやるかー。

 

それではまた明日会いましょう!